ナチュラルリリースの徒然帖

山陰・鳥取・境港の情報を発信している釣り人です。最近は日々の徒然記がメインになっています。

家事だとか育児だとか…

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管理人ジュニア

仕事で年配の方々(世間的には後期高齢者にあたる方々)と話をしていると、かなり世代間のズレ(通称:ジェネレーションギャップ)を感じることがあります。

 

私の場合、育った家庭の教育方針かもしれませんが、自分事については「〇〇くらい出来ないと結婚できないぞ」とか「〇〇くらい自分でやらないと奥さんに迷惑かけることになるぞ」と、さんざっぱら親父に言われて育ってきました。

そのため、自宅にいない時間の食事の準備以外は、基本的に自分のことは自分でします。自分事以外の家の事(文字どおり家事)も、気付いたときには自分でやります。

皿洗い、掃除、洗濯は基本的に私の仕事です。

妻の家事に納得がいかなくて、

「これ、もうちょっと〇〇してよ」

「文句言うなら自分でやってよ」

というくだらない口ケンカをしたくないですから。

ケンカになるくらいなら自分でやります。ケンカなんてお互いに気分が悪くなるだけなので。

 

人間、一度は必ず死にます。なので、それまでに自分にできることは一通りやってみたいという性格上、育児についてもなるべく自分で出来ることは自分でやります。

ただし、育児に関しては母親が強し・・・(´Д`;)

育児ができるのなんて、人生80年のうち今だけなのですから、とりあえず色んなことに首を突っ込んでみたいんです。

 

こういう家事や育児に関する私のスタンスは、なにも特別なものではなく、ごくごく平凡で普通でありふれた当たり前の感覚だと思います。

誰だって夫婦ゲンカなんてしたくないですし、人生に一度しか味わえないことをやってみたいって思うのは、なにも特別な感情ではなく、いたって平凡な感情だと思います。

 

そうです、私は極めて平凡で普通の人間なのです。

 

ところが、年配の方々と家事や育児について話をすると、たいていの人が、「y-naxさんは偉いね~、家事や育児に積極的に参加して。」と言います。

たぶん、共働きの普通の家庭であれば違和感を覚えると思います。

 

「ん?参加??」

 

「いやいや、家族だけの事じゃなく、自分の事でもあるのですから。参加って…。そもそも自分事に不参加って選択肢ないでしょ。自分とは無関係のことに参加するかしないかの選択の自由はあるかもしれないけど、自分の事に参加しない(=自分事を他人にさせる)って、日本人なら基本的にレアケースでしょ。」

 

そもそも子どもなんて自分では何もできないわけですから、親が手を貸さないと生きていけないです。

言わずもがな、子どもにとって、親は父と母の二人しかいないわけですから、私か妻(母)が育児をするのは当たり前の話です。

 

もちろん、ここはそれぞれ家庭の事情があるのは分かります。

妻が家事・育児すべてを行うというのもあり得ます。夫が家事・育児すべてを行うことももちろんあり得ます。

すべては夫婦間で決めれば誰も文句は言いません。

 

しかし、夫婦間で決めたことを他人の私に愚痴らないでください。

旦那さんが何もしないことを許容しているのは奥さんなので、奥さんがそれで良しとしているのであれば、他人の私に旦那を愚痴るように「旦那は何もしない」とは言わないで欲しいです。

 

もし不満があるなら、旦那さんと話し合って決めてください。私に言われても何も出てきませんよ。

話し合いをせずに現状を許容するなら愚痴らないで欲しいです。

 

私は、その年配夫婦のような特別な分担をしているわけではなく、ありふれた平凡な人間で必要なことを自分にできる範囲でやっているだけなので、私に言われても困ります。

 

こういう言い方をすると、「今の若い人はそうかもしれないけど、自分たちの時はそんなの(家事の分担)はあり得なかった」と言われます。

しかし、私の親も70を超えておりますので、片手で足りる程の年齢差しかありません。

もしかして、片手で足りる程の年齢差の間に、なにか日本にドラスティックな転換期でも起こったのでしょうか?
確かに、戦中生まれと戦後生まれの違いはあります。しかし、親の親は結局似たような世代なので…

 

という何とも理不尽な愚痴を聞かされる羽目になりました。

こういうことを他人の私に愚痴るのはちょっと理解できないのですが、やはりジェネレーションギャップでしょうか。

 

 

おしまい